この胸の想い、あなたに

To Heart:長岡志保
「駆け引きの行方」






「おっはよぉ〜! 女たらしのヒロ、あかりっ!」

「おー。歩く喧騒女、おはようさん」

「おはよ、志保……また浩之ちゃんたら、喧嘩になっても知らないよ?」

 何を言う。
 喧嘩を売りに来られたら、きちんと買うのが男ってもんだ。

 ま、志保相手に男道も何もないんだが……。

「ふふっふー、あたしはヒロなんか相手にしないのよ……大人の女だしねぇ〜」

「ほう、何故その『大人の女』が俺に声をかけた?」

「志保ちゃん情報、なうあべいらぶるっ☆ 知らないなんて不幸な人は、作り
たくないしぃ〜」

 口元に指を当てて、志保。
 知った方と知らない方、どちらが幸せなのかは判断しかねるが。

「だからヒロにも、わざわざ教えに来てあげたのよ〜」

「へーへー。俺なんかの為に、そりゃご苦労様ですな」

 くそう……鼻ほじってやろうか、目の前で。
 ……下品すぎるから止めとこう。

「でねでね、今日の志保ちゃん情報はぁ……」

「だぁぁ! まだ聞くなんて言ってないぞっ!?」

「やぁねぇ、どうせ聞くくせにっ」

 ぬぅぅぅ、この自信はどこから沸いて来やがる。
 っていうか単に気にしてないだけだな。

「ええい!」

「えっ? えっ?」

 だだっ!

「あっ! 待ってよ、浩之ちゃん〜」

「ヒロっ、逃げるかぁ!?」

 三十六計逃げるに如かず。
 っていうか、戦略的転進だ。

「待てと言われて待つ馬鹿はいないぜぇ〜」

 あかりからも逃げてどうするんだ、というのはこの際置いといて。
 あいつには志保を引き止める囮になってもらおう。

「ひっ、浩之ちゃーん……」

「ぬぅぅぅ、覚えておきなさいよ!」

 へっ、あかりを1人だけ放って俺を追うなど出来まい。
 さてさて、それではすたこらさ〜っと……。






「……ひどいよぉ、浩之ちゃん」

「はっはっは、文句なら志保に言え」

 俺は悪くない。

「でもぉ……」

 わかった、わかった。
 お前を置いて来たのは悪かったって。

「お詫びにヤックおごるから」

「もう、そうやって誤魔化す〜」

 ぺしぺしぺしぺしぺしぺし。

「痛てててて」

 段々と強さを増してくるあかりの平手連打、どのタイミングで止めようかと
思案していたら。

「ふっふっふぅ……ヒぃ〜ロぉ〜……」

「げっ、志保っ! 何てしつこい奴だっ!」

「今度は逃げられないわよ? 何て言っても……」

 な、何て言っても!?
 まさか志保の奴、俺の恥ずかしいネタでも入手したのか?

「廊下は走っちゃ駄目なのよっ」

「…………」

「……ねぇ、志保……?」

 あー……こいつ、まさかここまで間抜けとは……。

「だからヒロ、今度こそ……」

「付き合ってられるかっ!」

 だだっ!

「ああっ! いーけないんだーっ!」

「馬鹿者、非常時には校則を超越してもいいのだっ!」

 志保との遭遇を非常時扱いにすることの是非は別として。

「校則違反ー!」

 ええい、流言蜚語をバラまくのはいいのかよっ!
 って、あいつを出し抜けたうちに撒くぞ!

 だだだだだ……。






「ふぅ……」

 まさか志保の奴、屋上なんかに隠れているとは思うまい。
 今頃中庭とか自販機の前とか間抜けな顔して探してるに違いない、うぷぷ。

「……相変わらず、間抜けな顔してるわねぇ」

「……はっ!?」

 しまった、この俺が背後を取られるとわっ!

「よ、よく見付けたなぁ」

「残念でした〜……志保ちゃんレーダーに、見付けられないものはないのよ」

 何度聞いても怪しい名称だ。

「自分から電波受信者を名乗ってどうする……なるほど、それであんなにガセ
なネタがぽこぽこ出てくるのかぁ」

「なっ……!」

 さぁ志保、次は何て返すんだ?
 何を言っても論破してやるぜっ!

「…………」

「あ……あれ?」

 どうしたんだよ、急に黙り込んで。

「ねぇ……」

「ん? どうした」

「ねぇ、ヒロ……あんた、あたしのこと……嫌いなの?」

「あぁ? 何だよ、いきなり」

「最近ずーっと避けてるし、口を開けば喧嘩してばっかりだし……もしかして、
嫌われてんのかなぁ……って」

 その言葉には、いつもの『志保ちゃんトーク』のような勢いがなく。
 何か……ふざけてる場合じゃないみたいだな……。

「べっ、別にあんたなんかに好かれようってわけじゃぁないんだからねっ!?
あんたみたいな高校生ジゴロ、こっちからお断りよぉ!」

「おいおい」

 そんなに女癖悪かったのか、俺?
 つーか……何で睨まれてんだろ、俺。

「ジゴロって、そんな真似をした覚えはないぞ」

「同じよ……人の気も知らないで、色んな女の子を毎日取っ替え引っ替え……」

 人聞きの悪いことを言うなぁ……。

「何だよ、女の子と話をするのも駄目かぁ? 悪いが、手を出したことなんか
1回だってないぞ」

「あったら大問題よ」

 うむ、確かに。
 ……いや、そうじゃなくって。

「あんなに他の女の子とは楽しそうにしてるのに……どうしてあたしとは……」

「……志保?」

「嫌いなら、嫌いってはっきり言いなさいよっ! 嫌われた相手に付きまとう
程、落ちぶれちゃいないわよっ!」

 嫌い……嫌う?
 俺が、志保を嫌う?

「誰がいつ、お前を嫌った?」

「だって、そうとしか考えられないじゃない!」

 ……俺がこいつから、逃げて回ってたから?
 ろくに話もせず、口喧嘩してばかりだったから……?

 ……そっか、そうなのか。






「お前……寂しかったのか」

「ばっ、馬鹿っ! そんなわけないでしょっ……」

 いつも通りの、『志保』。
 そう見せようとしているように見えた。

 でも……間違いなく、動揺しているように見えた。

「……ちょっと、こっち来い」

「……何よ」

「いいから」

 まだ俺を睨み付けている志保。
 先程の勢いはなくなっていたけど。

「……早く」

「な、何なのよ……怖い顔して……」

 がーん。
 いや、俺ってよく目付きが悪いとか言われるけどさぁ……。

 すぅっ……。

「きゃっ……」

 びくっ。

 俺が右手を頭上にかざすと、小さく身を縮める志保。
 何だかマジで怖がってるし。

 ……大丈夫だってばさ。

 なでなで。

「……へっ?」

 なで、なで……。

「ね、ねぇ……何のつもり?」

「…………」

 なでなで、なでなで……。

「やっ……ちょっと、止めてよ……」

「なら、手を払えばいいだろ」

 なでなでなで……。

 抱きすくめているわけでもない。
 逃げ場を塞いでいるわけでもない。

 逃げるなら、いつでも逃げられるはずなのだ。
 でも、それをしないのは……。

「やだ……子供扱いしてぇ……」

「なでられてそう思うのが、子供の証だよ」

 そんな言葉が出るのは、自分を子供だと思っている証拠。
 そう考えているうちは、大人なんかになれっこない。

 だから、なでてやるんだよ。

 なでなで……。

「ヒロってば……口、減らないんだから……」

「そりゃお互い様だ」

 なでなで。

「志保……お前の言うことって、やっぱり当てにならないのな」

「な、何よぅ」

「だって俺、お前程気を許してるのって……他は、あかりか雅史くらいだぜ?
嫌ったりなんか、してないよ」

 別の意味で気を許せない奴だけどな、お前は。

「あ……」

 俺達は仲よし4人組。
 だからこそ、今だってこうしているわけだし。

「な?」

 なでっ。

「う、うん」

「志保ちゃん情報、訂正してお詫びしとけよ」

「うん……」






 き〜んこ〜んか〜んこ〜ん……。

「授業始まるぜ、降りるぞ」

「ん……わかってるわよ」

 何だか元気がなかったけど。
 でも、足はちゃんと動き出したから。

「じゃ、先に行くぜ」

 たたたた……。






「もう……ヒロの、馬鹿ぁ……」












 授業も終わり、帰り道。
 何とはなしに、あかりと歩く帰り道。

「浩之ちゃん、志保とちゃんと仲直りしたの?」

「ん? 何で俺がそんなことを」

「もぅ……志保が可哀想だよ。今日は1日中元気なかったみたいだし……」

 たたたたた……。

「えー? 何なに、誰が元気ないって?」

「げ、また出た」

 やけに明るく、志保が走り寄って来た。
 たった今元気がないとか言った手前、ちょっと困ってるあかりの姿。

「何よーぅ」

「浩之ちゃんったら、もう……」

 心配そうに顔を曇らせるあかり。

「ん? あかり、何でそんな顔してんのよ」

「何でって……」

「大丈夫、ヒロなんかと本気で喧嘩する程馬鹿じゃないわよ〜」

「なんかとは何だ、なんかとは」

 くすくす笑いながら、手をひらひら振って。
 ったく……人がちょっと甘い顔見せればこれだ。

「男が細かいこと気にしないのっ」

「細かくねぇ」

 全くこいつは。

「へー、そんな態度だと……屋上でのコト、あかりに教えちゃおっかなぁ〜」

「おっ、おいっ!?」

 馬鹿っ、あんな恥ずい真似したってのは秘密だって!
 つーかお前も恥ずかしいハズだろうが!

「え? 屋上で何かあったの?」

「ななな何でもないっ! 志保、お前っ!」

「うぷぷぷぷ、何か反論がありそうねぇ〜。今日辺りヒロの家にお邪魔して、
じっくりと話し合いましょうか」

「だぁぁ、くっそぉ!」

 そんなにニヤニヤ笑うなぁ!
 畜生……そっちがその気なら、じっくり話し合おうじゃないか!

「ほらほら、そうと決まれば急ぎましょっ」

 たたっ。

「あ……待ってよ、志保ぉ〜」

 たたたた……。

 ったく、志保の奴め。
 この分じゃ、何を言われるかわかったもんじゃねぇな。

 マズったかなぁ……。

 鞄を握り直しつつ、そんなことを考えて。
 少し先で立ち止まって俺を待っている2人、俺もちょっと走って後を追うの
だった。






「ったくお前、変なこと言うなよなぁ」

「あら……変なことって、自分で認めてるわけね」

 しまった。

「あんたの態度次第では、秘密にしておいてあげないこともないけどぉ〜」

 ずず〜っ……。

 お、お前なぁ……お茶まで出させといて、その態度かよ……。

「あーあー、別にいいぜ。お前の要求を聞いてたりしたら、余計に変なことに
なりかねないし」

 駄目だ駄目だ。
 これ以上甘い顔見せたら、もっと調子に乗るに違いない。

「そんなこと言ってもいいの? 明日学校中に『ヒロの家で変なコトされた』
って情報を流したら……今日ここにいること、あかりは知ってるわけだし」

「おいおいっ! そりゃ洒落で済むレベルじゃないぞっ!」

「じゃ、大人しく言うこと聞きなさい」

「うっ……あ、あんましふざけたコト言うなよな……」

 くそう、こいつのデマガセ情報網は只者じゃないからなぁ……。
 一般生徒のみならず、教職員にもパイプがあるって噂だし。

「大丈夫よ、そんなに難しいことじゃないから」

「……わかったよ、言ってみろ」

 ずずーっ。

 志保はお茶をすすって、一息吐いて。

「あ、あのね」

「何だよ、すっぱり言いやがれ」

「え、えーと……お茶、お代わり」

「へーへー」

 ぱしっ。

 もう1杯空けやがったのかよ、早いな。

「すぐに代わりをお持ちしますよ、志保様」

 逆らわないのが吉と見た。
 とりあえず、この場は適当に誤魔化して……。
 何日かすりゃ忘れるだろ、志保だし。






 ことん。

「はいよ」

「あ、ありがと」

 ずず……っ。

「熱っ」

「気を付けろよ」

「うん……」

 熱い為か、慎重に湯飲みをテーブルに置き。
 口元を気にしながら、俺を見る……火傷でもしたかな?

「あの、あのね……」

「何だよ、要求をはっきりと言え」

 あんまりふざけたことだったら……どうしてくれようか。

「その……また、屋上の時みたいに……」

 一瞬、何を言い出したのか理解出来なかった。
 俺の予想していたことからは、全く外れていることだったから。

「とっ、隣に来て……頭、なでて……」

「……えっ?」

「なっ、何度も言わせないでよ……聞こえてたんでしょ」

「あ、ああ……」

 俺は戸惑いながらも、言われるままに志保の隣に移動して。
 彼女の頭に手を置きながら、ゆっくりと座る。

 なで……。

「あ……」

 嬉しそうな、志保の声。
 俺の手は、思わず止まってしまい。

「おい、志保……?」

「ん……?」

 ぼーっとしながら俺を見る志保。
 それは、今までに見たことのない……とても、幸せそうな顔。

「ほら、続き……してよ」

「お、おう」

 なでなで、なで……。

「あっ……♪」

「…………」

 屋上でなでていた時よりも、反応が違う。
 あの時は、恥ずかしがっているのが見え見えだったけど……今は、違う。

「ねぇ、ヒロ」

「ん?」

 なで、なで、なで……。

「この先はまた今度でもいいから……今日は、帰るまでこうしててね」

「お……おう、わかった」

 『この先』とは、何を意味しているのか。
 俺は手を止めることもなく、そんなことを考えていた。

「な、なぁ……」

「んー? なぁに、ヒロ?」

 その時……からかうような、でも……とても、優しい瞳。
 今までの志保からは、想像も出来ない姿だったわけで……。

「いや……何でもない」

 なでなで。






 ったく、志保の奴め。
 そんな顔されたら、もう何も言えないじゃないか……。

 ああ……そうさ、俺は負けを確信しちまった。
 こうなりゃ腹ぁくくってやる、ふん。

 ……なでなで。






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