単発らぶらぶ小説 その62

Cushion the Pressure








「シンジぃ、新しいクッション買ってよぉ。結構古くなっちゃってるし」

 その一言が全ての始まりだった。






 アスカの前には新しいクッションが置かれていた。
 僕が恥を忍んで女性向けインテリアショップで検討に検討を重ねて購入して
きたものだ。
 アスカの好みの赤色にして、就寝時にも抱き枕として転用が出来る棒みたい
な細長いクッション。

「どうですか?」

「……使ってみなきゃわかんないわよ。駄目だったらぐーで殴るからね」

 アスカの言い分は無茶苦茶だったけど、アスカは本気でその程度の理不尽は
こなしてしまう。
 その言葉の意味するところは、『とりあえず死なない程度に撲殺』である。
 今まで何度も経験してきたけれど、あまりにも理不尽過ぎる。
 背筋に嫌な温度の汗が流れるのを感じながら、ひとまず僕はその場から退散
することにした。

「ま、まぁ……とりあえず使ってみてよ。僕は宿題やってるから……」

「はいはい、精々勉学に励みなさい」

 これ以上ないくらいにどうでもいいような返事を聞きつつ、僕はリビングを
後にした。






 …………。
 とは言え、殴られるにしても覚悟があるとないとでは大違いだ。
 アスカが気に入らない様子を見せたら即座に逃げる用意を整えてから、再び
リビングをそうっと覗いてみる。

「…………」

 アスカは丁度、四角柱のクッションをへにょへにょと曲げて感触を確かめて
いるところらしかった。

「中身は……ウレタン……このご時世に、発泡ウレタンなのね……」

 スポンジでも綿でもない固めの手応えから、的確に中身の素材を言い当てる
アスカ。
 アスカの性格からして、ウレタンなんぞ安物だと激昂されるかもしれない。
 また嫌な汗がにじむのを感じながら、アスカの次の挙動を見守ってみる。

「……やっぱり固い……ったく、シンジったら……」

 およそ僕の手ですら余りそうな角柱の一辺を、アスカは難なく鷲掴みにして
クッションが千切れそうな程に握り潰していた。
 今更ですが、何なんですかあの異常なまでの握力は。

「……でも、まぁ……うん……うん、うん」

 アスカは何事かに納得して、締め千切られそうだったクッションを解放した。
 ばうんと床に跳ねて転がる四角柱を眺めつつ、よく見るとアスカの空いてる
もう一方の手が自分のお尻に当てられていることに気が付いた。

「……ぷっ」

「……はっ!? あっ、シンジ……み、見たなぁー!?」

 クッションの固さと自分のお尻の感触とを比べていたらしい光景に、思わず
噴き出してしまった。
 それっきり僕は笑い転げることも出来ず、アスカの剛力によって鉄と化した
発泡ウレタンの角材の一撃によって瞬時に後頭部を殴打されてしまう。

 んばっふん。

「ぎゃわ――――んっ!?」

「何見てんのよ、このたわけうつけえろシンジぃっ!」

 説明が必要だろうか。
 例えば水上スキー。
 時速数十キロを超える世界では、普段はちょろちょろと流れる水であっても
転べばコンクリートや鉄板に打ち付けられたような衝撃を受けるそうな。
 つまりは押せば凹む発泡ウレタンであっても、アスカの凶悪な膂力によれば
鋼鉄の棍棒も同じこと。
 僕は何かと紙一重のアスカに恐るべき凶器を与えてしまったことに後悔する
暇もなく、頭が2つ分くらい真横にズレた辺りで意識を失っていた。






「…………」

 ぎこ、ごきり。

「新しいクッションを買わせていただきます」

 目覚めた時に何故か抱かされていた四角柱クッションを背後に隠して、何で
僕が頭を下げなければならないのかと言う疑問を封じ込めつつ土下座する。
 次は首に違和感を感じるどころか、世界で初めて『クッションで首ちょんぱ
された被害者』として名を残してしまうかもしれない。

「全く、アンタってば油断も隙もないんだから……今度はちゃんとしたやつを
買ってよね?」

「恐れながら、僕とアスカでは認識の違いが多少ならずあると思われます。気
になるのであれば、ご本人様同行の上で購入いたしたく」

 極限に追い込まれた状態では、人間と言う生物は本音が出てしまうらしい。

「変な言葉遣いしないでよ……ん、まぁいいわ。一緒に行ってあげるわよ」

 そう言った途端、アスカはぱたぱたと自分の部屋に駆け込んでいった。
 待つこと1分と28秒きっかりで、彼女は時計の針を眺めていた僕の眼前に
仁王立ちになった。

「っはぁ、はぁっ……さ、さぁ行くわよシンジ! また変なの選ばれたらお金
の無駄だものね!」

「……な、何で着替えてるの? しかも妙にふりふりな……」

「行くの? 行かないの?」

 アスカがちょっと声のトーンを落としただけで、僕は背に隠したままだった
棒クッションを放り投げて立ち上がった。
 どうしてタンクトップにスパッツから、フリルが満載の可愛らしいドレスと
呼んでも差し支えのない洋服に着替えたのか。
 余所行きにしては気合いが入り過ぎているのではないですか。
 僕はまだ命が惜しかったから、そんな疑問はまとめて記憶の深淵に廃棄する
ことにした。






 それからしばしの後、僕は例の凶器を購入したお店の前に立っていた。
 何故かアスカに腕をしっかりと拘束されながら。

「……ねぇ、アスカ……」

「ん? 何かしら、シンジ?」

「逃げたりしないから、この腕を放してもらえないかと思う次第なのですが」

「……言い訳をするってこたぁ、後ろめたい考えがあるってことよね……?」

 滅相もございません。
 後ろめたいどころか、前向きに購入の検討をするに当たって精神的な障壁を
取り払っておきたいのです。
 もし逃げようと後ろを振り向いたとしたら、その刹那に僕自身の生命が危険
で危ないわけですから。 
 そんなことを言えるわけもなく。

「いらっしゃいませー!」

 若い女性店員さんは、入ってきた僕達ににこやかな営業スマイルをくれた。
 助けてください。
 僕は今、人類を脅かす使徒よりも圧倒的な存在に脅かされているのです。
 だけど生身の人間にはアスカの薄皮1枚ですら傷付けることは出来なさそう
だったので、喉の奥に言葉を飲み込むことにした。

「あ、何か丸いのもあるんじゃない。何で棒みたいなの買ってきたのよ」

「い、いや……抱き枕にもなるかと思って……アスカって、気に入ったら一緒
に抱いて寝る癖があるから……」

 僕はアスカにずるずると引きずられて、彼女の見付けた『丸いの』が山盛り
になっているワゴンの前に持っていかれた。
 この丸いクッションは、アスカが投げたらエヴァの装甲板を平気で貫通して
しかも内部で錨みたいに炸裂しそうだから最初に候補から外したのに。
 中には滑らかビーズが詰まっているせいで非常に柔らかい感触の製品だけど、
その如何にも無害に見えるところがアスカにかかればとてつもなく危険なのだ。

「うんうん、やーらかいじゃない。ねぇ、シンジもそう思うでしょ?」

「確かに柔らかいけど、柔らいからこそ対象から除外したわけで」

「うんうん、これなら……ほら、シンジも触ってみなさいよ」

 アスカは僕の手首を無理矢理掴んでどこぞへと運んでいく。
 ああ、もしかしたらこのまま腕をもがれてしまうかもしれません。
 僕は恐怖に包まれて、一筋の光も射し込まないくらいに固く目をつぶった。

「ね、やーらかいでしょ?」

 ふよふよ。

「う、うん……これがいいなら、早く会計済ませて帰ろうよ……」

「……じゃぁ、こっちは……?」

「…………」

 ふよよんっ。

 柔らかい。非常に柔らかい。
 その上生暖かいとも言える温度を持って、ビーズとは思えない瑞々しい弾力
が僕の指を押し返してくる。

「あ、後の方がいいかな。でも、こんな手触りのクッションなんてあったかな」

「ふーん……シンジは、この手触りが気に入ったわけね?」

 アスカは僕の手首を掴んだまま、そのクッションへ更に強く押し付けようと
する。

「ん……ね、シンジ。見もしないで、掌で触っただけで『これだ』って思った
の……?」

「う、うん……どれかと言うと、これならアスカも文句はないんじゃないかと
思うんだけど……」

 恐る恐る目を開いてみると、そこには。

「……えへへ。じゃぁ、これはシンジ専用のクッションに決定っと……アタシ
は……クッションの代わりに、シンジを抱き枕にするー♪」

「うっ、うわぁ!?」

 嬉しそうに微笑むアスカは、店員さんの死角になるように洋服の隙間から僕
の手を……自らの胸元に差し入れさせていた。

「何よ、その声。この感触が気に入ったんでしょ? ……アタシも。この手で
触られるの、ちょっと気に入ったかも……♪」

 ふよふよ、ふにゅっ。

「ああああああああのっ、アスカさんっ!? 新しいクッションを買うんでは
なかったんですかっ!?」

「そうよ、お互いに気に入ったのを見付けたんじゃないの。もういいでしょ?」

 アスカはすぅっと僕の手を洋服の中から抜き取って、改めてしっかりと抱き
締めた。

「ねぇ、早く帰って新しい抱き枕の抱き心地を確かめたいんだけど……アンタ
はどう? 新しいクッションの感触、もっと味わってみたくない……?」

「……う、うんっ……」

 艶っぽい響きの言葉が意味するところは明白だった。
 思わず頷いてしまっていたけど、よく考えても結論は同じだっただろう。

「それはそれとして、この柔らか丸クッションはお買い上げっと」

「へ? もういいんじゃなかったの?」

「ちょっと迷われたんだもの、アタシの名が廃るじゃない。アンタが迷わずに
わかるようになるまで、これはアタシの敵よ」

 ばふっ。

「う、うん……頑張るよ」

「ばっ、馬鹿っ……頑張らなくても……ちょっとは頑張ってくれた方が嬉しい
かな……?」

 丸クッションを僕の顔に押し付けつつ、今度はレジの前に僕を運んでいく。
 このクッションは、とりあえず凶器として使うつもりはないらしい。
 そう思ったら、不意にさっき感じた掌の感触が生々しく甦ってくる。

「……頑張るから、あんまりいじめないでね」

「えへ……それは保証出来ないかもね」

 普段は僕を怯え慄せるハズのアスカの声は、何だかとても照れ臭そうだった。






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