痕〜きずあと〜SS

柏木家穂薄慕情・後編








「お兄ちゃん、お昼ご飯が出来たよ・・・」

「あ・・・うん、ありがとう」

千鶴さんを見送った後、俺はすることもなしに単にごろごろしていた。そして
いつの間にか、昼。ちょっと俺を警戒している初音ちゃんが、昼食を知らせに
来てくれた。

「・・・・・」

初音ちゃんは用件だけ言うと、そのまま居間の方に走っていってしまう・・・
こりゃあ、嫌われたもんだな・・・。

「よっ、と」

俺は重い身体を起こし、居間へ向かった。






ぞるぞるぞぞぉ〜っ・・・。

「うん、美味い!」

昼飯は、ざる蕎麦だった。絶妙な茹で加減、ツヤもコシもなかなかのものだ。
ばっちり冷水で引き締められ、蕎麦湯まで用意してあって言うことなしだっ!

「やっぱり初音ちゃん、いいお嫁さんになるよ」

「・・・うん、ありがとう」

・・・ああっ・・・何て味気ない返事なんだ・・・。そりゃ俺もえっちなこと
したのは悪かったけど・・・。

ちゅるちゅる・・・。

「・・・・・」

楓ちゃんも、初音ちゃんも。俺とは目を合わせないようにして蕎麦をすする。
・・・何か、気まずいな・・・。俺の軽率な行動のせいで、この柏木家全体が
ダークな雰囲気になってしまう・・・。

「・・・2人とも、朝はごめんね」

「・・・・・」

「・・・・・」

俺は、自分の分を食べ終えて。そして、2人に謝っておくことにした。

「俺、2人が大きく成長したのが嬉しくて・・・でも、あんな真似はするべき
じゃなかった」

そうだよ。してはいけないことだったのに。

「許してもらえるとは思ってないけど、謝罪だけはさせてくれ。・・・じゃ、
俺は行くから。千鶴さんと梓にも、よろしくね。・・・ご馳走様」

ゆっくり立ち上がり。俺は、客間へ向かった。






「これで、いいんだよな・・・」

俺は荷物をまとめていた。今更ながら、自分の行動に深い後悔を感じながら。

「俺のせいで、ぎくしゃくしても何だし・・・」

ぽんっ。

「よし、終わり」

じゃ・・・ほとぼりが冷めるまで、我がねぐらに戻るか・・・。

とんとん。

俺が荷物を持って、いざ歩かんとしたその時。

「ねぇ、お兄ちゃん・・・?」

・・・初音ちゃんか・・・?

「お兄ちゃん、入ってもいい?」

「あ・・・ああ・・・」

すっと障子が開き、初音ちゃんが姿を現わす。おっと、すぐ後ろに楓ちゃんも
いたのか・・・。

「・・・どうしたんだい、2人して?」

「お兄ちゃん、どうして荷物まとめてるの?」

「いや・・・ちょっと早いけど、もう帰ろうと思ってさ」

「ええっ?!」

「・・・?!」

な、何だよ・・・そんなに驚くことないじゃないか。だって、俺のせいでこの
家の空気が重くなってるんだし。

「これ以上、みんなに迷惑かけたくないしな」

「そんな・・・迷惑だなんて・・・」

「だって2人とも、朝のことで・・・俺のこと、嫌いになっただろ?」

俺がそう言うと、2人は顔を見合わせて。そうして再び俺を見て、一緒に首を
横に振る。

ふるふる・・・。

「ううん・・・違うよ。私達、お兄ちゃんに触られたのが恥ずかしかっただけ
なんだよ」

「・・・・・」

こく。

「もし私達が照れてたせいでお兄ちゃんが傷付いたのなら・・・ごめんなさい
・・・」

「・・・ごめんなさい」

楓ちゃん、初音ちゃん・・・あんなことした俺を、許してくれると言うのか?
ううっ・・・何ていい子達なんだ・・・。

「お兄ちゃん、これだけは忘れないで欲しいの。私達、お姉ちゃん達も気持ち
は同じ。お兄ちゃんのこと、大好きなんだから・・・」

てててっ・・・。

ぽふっ。

「だから・・・もう帰っちゃうだなんて、言わないで・・・」

「折角来てもらったのに・・・出来るだけ、一緒に・・・」

・・・ぽふっ。

・・・2人とも・・・。

「ありがとう・・・わかった、帰るのは止めだ」

「本当?」

「ああ」

「・・・よかった・・・」

俺は両腕で2人を抱きしめながら。

「ごめんな・・・余計な気を遣わせて・・・」

ぎゅっ・・・。

「よし!昼飯も食ったことだし、3人で昼寝でもするかっ!」

「「・・・・・」」

・・・あれ?また、ハズしたかな・・・。

・・・こく。

2人は、小さく頷いた。

「お兄ちゃんとお昼寝なんて・・・久しぶりだね」

「・・・・・」

こく。

肯定を受けて、俺が横になり。それから俺を挟むように2人が横になり。

「お兄ちゃん・・・腕枕、いい?」

「・・・ああ」

2人は俺の腕を枕にして、そのうち安らかな寝息を立て始めた。

「・・・本当、いい子達だよな・・・」

俺にすがるようにして寝ている2人。恥ずかしいやら嬉しいやら。俺は少しの
間、どきどきして寝付けなかった。






「・・・ういちっ!」

・・・ん?

「耕一っ!」

ん・・・梓か・・・?辺りはすでに薄焼け色・・・もう夕方か・・・。

「おいっ!あんた、何で2人と一緒に寝てるんだよっ!」

・・・おお?

「あ・・・梓お姉ちゃん、お帰りなさい」

「・・・・・」

「何でって・・・見た通り、昼寝だが」

「そういうことじゃなくて・・・」

梓、練習帰りみたいだな。学校の制服のまま、俺達の頭の近くに立っている。
・・・ってことは。

「・・・ふっ、白か」

「・・・・・」

あ。

「お、お兄ちゃん!私達、夕飯の支度してくるねっ!ごゆっくり!」

「・・・・・」

がばっと起き上がり、文字通り脱兎の如く駆けて行く2人。ううむ・・・。

「こ・う・い・ちぃぃ〜っ!!」

「ま、待てよ梓。その拳を下ろせ」

慌てて起き上がって後退り。ちょ、ちょっと恐いかな。

「問答無用っ!」

ぶんっ!

怒りに任せて殴りかかってくる梓。・・・どうしよう?

がすっ!

「ぐっ」

梓の正拳は、見事に俺の頬を捕らえた。だが、その隙に。

がばっ!

「な、何っ?」

殴らせておいて、その衝撃は受け流し。殴った後のモーションのままでいる梓
を、俺は素早く背後に回って羽交い締めにする。

「くっ!」

「・・・気は済んだか?」

一応、股間を蹴り上げられないように身体の軸はずらしている。

「・・・なぁ。俺は、お前と喧嘩なんてしたくないんだよ・・・」

「な、何だよ・・・急に・・・」

くらっ・・・。

おっと・・・梓の奴、なかなかいいパンチしてるじゃねぇか・・・。

「まぁ、座って話そうぜ」

俺は羽交い締めを解き、梓の身体を抱きかかえ。そして、梓を抱いたまま柱に
寄りかかるように座った。






梓は、俺の投げ出した脚の間で俺に抱かれていた。先程のことが嘘のように、
大人しくなっていた。

「・・・お前、学校で何かあったのか?」

「え・・・な、何で?」

おうおう、ちょっと反応してるぞ。

「何か様子が変だったからな」

「・・・・・」

「なぁ。よかったら、話してみろよ」

梓の髪をなでながら。シャンプーの香りが、俺の鼻腔をくすぐる。

「・・・実は、さ・・・」






学校の、隣のクラスの委員長。

『好きです』

俺以外の男からの、初めての告白。

入学した頃から、ずっと見ていた。
溢れんばかりに元気な健康美。
そいつは、梓にぞっこんだったそうだ。

梓は戸惑い、悩んでいたところに。
丁度、俺がやって来た。

『他の女の子からもお誘いがあったのに・・・』

人の気も知らずに。
どうしてそんなこと言うの?

俺のふざけた言葉に、我慢が出来ず。

・・・話は、そんな内容だった。






「・・・物好きな奴もいたもんだな」

「悪かったね、どうせあたしは・・・」

案の定、梓はいじけ気味になる。・・・でも。

「だけどな。俺は、もっと物好きなんだよ・・・」

ちゅっ。

梓の首筋に、軽く口付け。

「梓が何と言おうと、俺はお前が好きだ。・・・お前が迷惑だと言うのなら、
お前の為に身を退く覚悟はあるぞ」

「・・・身を退く、って・・・?」

「お前、俺よりそいつのことが気になってるんじゃないのか?」

・・・遠くの親戚より、近くの他人。それが俺達の状態だ。逢いたい時にも、
すぐには逢えない。そんな状態・・・。

「そんな・・・違うよ。あたしだって、耕一のこと・・・」

「そうか?それにしては、なかなかいいモノ貰ったぞ」

ちょっと痛む頬をさすりながら。もう少し避けるタイミングがずれていたら、
本気でクリーンヒットしてたぞ。

「あ・・・そ、それは・・・」

「すぐに頭に血が上るのが、悪い癖だな」

「う、うん・・・ごめん・・・」

ぽふっ・・・なでなで。

「怒ってもいいし、疑ってもいいさ。だけど・・・1つだけ忘れないで欲しい
ことがあるんだ」

「な、何?」

俺はゆっくりと深呼吸して。そして・・・。






「俺の心は、常にお前と共にある・・・決して離れることはない・・・」

心からの、魂からの言葉。それが、俺の本当の気持ちだった。






梓は俺の膝の上、嬉しそうに座っていた。

「寂しかったか?」

ちょっと悪戯心を出して、梓に聞いてみる。

「そ、そんなこと・・・!」

予想通りの反応。気が強い梓だ、その行動は大体お見通しだぞ。・・・でも。
昨日と違うところは、お互いに笑顔だってことだ。

「そうか?だったら、別に無理して来ることもなかったかな・・・」

「え・・・?」

「梓が寂しがってるんじゃないかと思って、バイトとかも放って来たのにな」

「そ、そうなんだ」

「それに、他の女の子からもお誘いがあったのに・・・あ〜あ、一緒に遊びに
行ってりゃよかったかな〜」






ここだ。ここで昨日は梓が・・・。

「・・・でも」

でも?

「それでも耕一は、あたしの為に来てくれたんでしょ?」

元気な笑顔で。でも、ちょっと不安の影をまといながら。

「・・・その通りだ」

俺の言葉に、梓の顔から不安が消え。そして、代わりに喜びが溢れ出す 。

「ありがとう・・・来てくれて、本当に嬉しかったの・・・」

俺の首に両腕を廻し、そして・・・。

「逢いたかったの・・・」






「ごめんね・・・痛かったでしょ?」

梓は俺の頬をさすりながら。

「何、そんなにヤワじゃないさ」

「・・・でも、赤くなってる・・・」

下手すりゃ、痣になるかもな。

「梓がいつでも、本気で生きてる証拠だよ。俺にとっては嬉しい限りだ」

いつでも本気で怒って、本気で泣いて。本気で喜んで、本気で愛して・・・。
そういうのって、なかなか熱い生き方だとは思わないか?

「あのさ・・・あたしが、治療してあげるよ・・・」

・・・治療?

すっ・・・。

その言葉の真意を訊ねる間もなく、梓が顔を寄せてくる。

ぺろっ・・・。

「お、おい・・・」

「黙ってて・・・」

ぺろ、ぺろっ・・・。

自分が殴った辺りを、丹念に舐め上げている梓。俺はただ真っ赤な顔でじっと
しているしかなかった・・・。






どのくらいそうしていただろうか。やがて、梓の眼から涙が零れて。梓は俺を
殴ってしまったことを、本気で後悔していると知った。

「そろそろいいかな・・・?」

「ん・・・もういいの・・・?」

俺は涙を拭ってやって。そして、また梓の肩を抱き寄せる。

「舌、疲れたろ・・・マッサージしてやるよ」

「えっ・・・ん、んむっ・・・」

あっという間に梓の舌は絡め取られて。俺の舌に弄ばれながら、甘い息を吹き
かけてくる梓。

「んぁっ・・・ふっ・・・」

細く透明な橋を渡しながら離れると、梓は俺の胸にくてっと倒れ込んだ。

「んんっ・・・耕一ぃ・・・」

そしてそのまま抱き合って。晩ご飯の支度を終えた初音ちゃんが、俺達を呼び
に来るまで。俺達は、安らかに互いを感じ合っていた・・・。






ぴしっっ。

手を繋いで食卓まで来た俺達だったが。その部屋に入った瞬間、千鶴さんから
何か変な音が聞こえたりした。

「あ・・・あら、仲直りされたみたいですね・・・」

「あ・・・何とか」

「それはよかったですわ、ほほほほほ・・・」

「は、ははは・・・」

狂ったように乾いた笑いを続ける千鶴さん。

「あのね、千鶴お姉ちゃん。私達、お兄ちゃんと一緒にお昼寝したんだよ!」

「・・・・・」

こく。

「お兄ちゃんの腕枕、とっても気持ちよかったんだよぅ!」

「・・・・・」

こくこく。

・・・うんうん、俺も喜んでもらえて嬉しいぜ。

「そ、そんな・・・私がいない間に・・・ずるい・・・」

ふと見ると、ぼろぼろと涙を流している千鶴さん。

「こうなったら明日は休んで、耕一さんを寝取ってやるぅ・・・」

「そ・・・それは語弊があるような気が・・・」

・・・あれ?いつもなら、この辺で梓が・・・。

にこっ・・・。

くるりと見た俺の視線を、笑顔で返す梓。・・・やるな、梓。

「ほらほら、そんなどうでもいいことは後だ!ご飯にしようよ!」

がくぅーっ。

あーあ。千鶴さん、モロにうな垂れちゃって・・・。ま、梓もちょっとは強く
なったのかな?

「はいっ、耕一の分!」

「おっ、サンキュー」

まるで漫画のように山と盛られたご飯を見ながら、ちょっと嬉しくなっている
俺なのであった。






<終わり>
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