月姫舞踊 秋葉の受難








 その感覚は、突然ではなくゆっくりとやって来た。
 じわじわと気付かないうちに俺の身体を侵食し、気付いた時にはもう手遅れ
だった。

「うー……」

「あら、どうかしましたか? 志貴さん」

「いや、ちょっとね……何でもないよ」

 何故か前屈みになった俺に、くすくすと琥珀さんが笑いかける。
 一緒にお茶を飲んでいた秋葉を見ると……こっちもまた、両足をもじもじと
動かしていて。
 真っ赤な顔で何かを我慢しているその表情は、純粋に可愛かった。

 琥珀さんは、空いたカップにこぽこぽとお茶を注ぐ。
 それを恨むような目付きで睨む秋葉。

「琥珀……紅茶に何か入れたわね!?」

「あらあら、何のことでしょう?」

「とぼけないで……って、兄さんは大丈夫ですか? どこか身体に変調は?」

「いや、俺は大丈夫だ。きっと」

 そうは言ったが、実は大丈夫ではない。
 先程から股間がやんごとなき状態になっているのだ。

「琥珀さん、何か入れたの?」

「うふふ、もう隠し通せないようですねー。実はお2人の紅茶にこれを……」

 と言って、小さな紙包を懐から取り出す。
 それが何なのかは知る術はないが……この身体の様子からして、一般に媚薬
と言われるものだろうか。

「あ、言っておきますが媚薬なんてものじゃないですよ。そんな薬、作ること
は出来ませんから」

「じゃぁ何なのよ! 身体がこんな風になるなんて尋常な薬じゃないでしょ!」

「ええ、薬の存在自体が尋常なものではありませんから。元は自然界にあった
ものであれ、それらを調合して薬が出来上がるんですよー」

 うう、能書きはいいからこの身体を何とかして欲しい。
 もう俺自身は痛い程にびんびんにいきり立っているのだ。

「最近のお2人は、色々溜め込んでいるみたいでしたからね……ちょっとだけ
自分の性的欲求に素直になれるようなお薬を調合してみました」

「何よそれ! 世間じゃ媚薬って言うじゃない!」

「どう呼ばれようと構いませんが……そろそろ身体の方が我慢出来なくなって
来たんじゃないですか?」

 琥珀さんは、全てを知っているかのように俺の顔を覗き込む。
 今日ばかりは彼女の笑顔も、小悪魔のそれに見える。

「うう、俺もう限界かも」

 身体がうずうずして、もう耐えられそうにない。
 全身が熱くなる。息遣いが荒くなる。そして何より、股間が熱い。

「琥珀……この件に関しては、後できっちり処分しますからね」

 とか言いながら秋葉は立ち上がり、俺ににじり寄って来る。

「兄さん……折角琥珀が気を利かせてくれたのですから、今夜は無礼講と言う
ことで……」

 じりじり。

「私のわがまま、聞いていただけますか?」

「うむ、俺もわがままを聞いてもらいたい」

 恥ずかしそうに小首を傾げる秋葉に、俺は笑顔で応える。

「で、でわ私の部屋で……」

 もじもじと手指を絡める秋葉を尻目に。
 俺は壁際に立つ翡翠の元へ駆け寄っていた。

 だだだだだっ、だきっ!

「翡翠――――っ! 無礼講の許可が出たぞ、今夜は朝までハッスルだ!」

「しっ、志貴様……」

 ぽっ。

 俺はそのまま翡翠を抱え、2階の俺の部屋へと走り出す。

「……兄さん?」

「あらあら、志貴さんってば翡翠ちゃんにご執心ですねー」

 かちゃかちゃと、琥珀さんはティーセットを片付け始めて。

「話があったら後で聞く! 今は翡翠だ! 翡翠らぶらぶちゅー!」

「志貴様……」

 ぽぽっ。

「あらあら、頑張ってくださいねー」

 おうよ、と俺は満面の笑みを返す。琥珀さんの笑顔がまるで応援してくれて
いるかのように見えた。
 何せ無礼講だ、あんなことやそんなことまでやってやるぜ!

「では片付けますねー、秋葉様も今日は早目にご就寝になってくださいな」

 琥珀さんはキッチンへ、俺と翡翠は2階へ。
 居間に1人残された秋葉は、ぽつりと呟く。

「あの……私の立場は? 兄さん?」

 




 その夜は、耳を澄ますと。
 東館……秋葉の部屋から、すすり泣きがしくしくと聞こえて来るのだった。






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